おめでとう、から、ありがとう

今日というこの機会に今まで吐き出せなかったものを書きます。昔から日本語に弱いので間違えた言葉選びしてるかもしれないし脈略ない文になるけどご容赦ください。

まずはあの日の当日のことから。

仕事が忙しかったりと疲労がすごいときはお風呂中に寝てる(意識がとんでる)ことが多々あって、その日も日付が変わる前に入ってたのに、気づけば浴槽のなかで深夜3時を越していた。

さすがにやばいなと思って急いで済ませて布団に入りスマホを確認したら、いろんな人からLINEの通知が珍しく入ってた。しかもみんな「大丈夫?」の一言心配するようなメッセージが不思議で全く意味がわからなくて、とりあえずツイッターを開いてみた。TLを少し遡ったらみんな「たっきー」って彼の名を呼ぶツイートばかりで、今度は彼のブログを確認したら、いつも学校の科目のタイトルで更新されるブログが、最新のタイトルだけ「ご報告」。
ちょっとだけ嫌な予感がしながらブログのなかを読んだ。一読して信じられない内容が全然頭に入ってこなくて、さらに上から今度はゆっくり文字を追いながら読んだ。頭に内容は入ってきたけど理解はできなくて何かの間違えじゃないかって思ってさらにもう1回上から読んだ。そしたら涙と鼻水が無意識にとめどなく流れて止まらなくて、きっと頭では理解したけど心が追いついていなかったんだと思う。ひたすら「なんで?」って繰り返し言いながら枕を濡らした。

涙が少し落ち着いてやっとみんなからの連絡の意味がわかったけど深夜すぎていま返してもきっと睡眠中の相手に迷惑だし、大丈夫?の質問になんて返答していいかわからなくて一旦連絡は放置した。心配してくれた各位、あのときはごめんね。
少し冷静になった頭で次の日(もう日付は変わってるけど)の仕事のことを考えた。自分にとって特別な人が亡くなって、本当だったら会社に行って仕事をこなせるほどのメンタルは強くないけれど、同僚に突然頼めない締切の仕事があったからそれだけ終わらせて早退しようと決め、朝は出社できるように少し眠った。

通勤時は通常SNSを見ることが多いけど、どうしても関連ツイートを目にすることにまだ耐えられなくて私用スマホはなるべく見ないようにして、早退したい事情を上司に連絡してた。朝にはネットニュースや各情報番組でも取り上げられてたようで、上司も訃報をネットニュースで目にしてたらしい。同僚たちには体調不良という理由にして早退させてもらい、理解のある上司でよかったと思う。

私の1番の理解者である親友Hにだけは連絡を返していて、彼女も私に合わせて早退してくれた。
都会のカフェで待ち合わせて親友の顔を見た瞬間、仕事中は塞ぎ止めてた心の蓋が一気に開いたようにまた涙がこぼれ落ちて、幼子のようにわーわー泣いて悲しみだけじゃないやりきれないようなそのときの感情をぶちまけた。彼と仲良しだった推しが芸能界引退を過去に経験してる親友は泣きながら受け止めてくれて、それまでちゃんとした食事がとれてなかったけど、タピオカが喉を通ってくれるほど少し落ち着けることができた。

こんな私を心配してくれた人がありがたいことに何人もいらっしゃって、仕事早退してきたことと気持ちが変な方向にいかずに自分は生きてることとお礼を兼ねてツイート。でも気持ちは全然整理つかないし、なんなら半年たった今でも気持ちが整理ついているのかよくわかってない。笑いのツボが低いから普段わりとニコニコと笑ってるほうの自分が、1週間くらい笑顔がつくれない生活だったと自分でも思う。



私にとって1番初めの推しだった。
じゃにおたも通ってなくて普通にアニメを見るくらいの私が、今のように推しができて現場と呼ぶ舞台やイベントに通うようになっておたくという人種になった特別な人だった。
私をてにみゅにハメようとした高校の同級生からメール(当時はガラケー)でキャストの画像が「この人はどう?」って送られてくる毎日。友人の推しのことは「チャラそう」、某人気声優となった人のことは「顔が薄い」など返していたなかで、唯一「あ、この人はタイプかも!」と目鼻立ちがはっきりとしていて薄すぎず濃すぎない顔が少し古風で硬派な印象をもつ彼に惹かれた。今思うと画像で好きになったのだから顔ファンだった。

それからというもの、友人の布教により授業中に彼のブログを遡ったり動画サイトを見たり若手俳優のあれこれみたいなのを教えてもらった。ほどなくしてイベントや舞台に行くようにもなり、クラスの若俳おたくじゃない友人たちとの会話でも口を開けば彼の名前をだしたり、「あんたすげーよ」や「ハ○イン!」など彼に関するワードを発していた。学校で発行する冊子の好きな四字熟語欄みたいなとこにも彼の名前を書いていたほど、彼への好きな気持ちは大きかったと思う。若俳おたくじゃないのにニュースで名前を見て私へ連絡してくれた同級生たちもいた。もう何年も経つのに彼の名前を覚えていてくれてたことが少し嬉しかった。

1番初めの推しだから、いろんな「初め」を教えてくれた。
初めて接触イベントに行った
初めて推しの作った料理を食べた
初めて自分の誕生日にイベントで誕プレになるようなものをいただいた
初めてブロマイドなるものを買った
初めて最前列を自引きして観劇した
初めてじゃにおたから教えてもらってうちわを作った
初めて事務所の所属男性タレントの顔と名前を暗記した
初めてプレゼントを贈った
初めて学校以外の見ず知らずの若俳おたくとツイッターで繋がりおたくの輪が広がった
初めて学校をサボってイベントに行った
初めてBL作品を知った
初めて年越しを一緒に過ごした
初めて推しのサイン入りグッズを抽選で当てた
初めて推しの主演ドラマを見た
初めて推しの主演舞台を見た
初めて舞台観劇が楽しいと思った
初めて誰かを好きになって応援することがこんなにも楽しいことだと教えてくれた
初めて芸能に関わる仕事をしたいと思わせてくれた

初めてのこれらの経験とほかに積み重ねた思い出があるからこそ、今こうしてまだおたくをしている私が続いている。


ある時期彼の仕事の方向性がよくわからなくなってきたのと、自分のプライベートも忙しかったのと、同時進行で追ってたてにみゅへの熱量も相まって、彼から少し離れた。それを境に私もたくさんお金を費やして通ったりしてた“おたく”から好きそうな作品や友人たちの推しと共演しておもしろそうなもののときだけ選んで現場に行く“ファン”に変わったのかもしれない。

だからなのか突然の訃報に後悔ばかりしかないのかもしれない。今の推しへはほぼ毎回手紙を書いてだしてたのに、彼へは手紙を書いたことがあまりない。またきっとどこかで会えると思ってたから、接触できるときに伝えればいいと思ってた。もう何も伝えることができない。
王子がツイッターでメッセージを集めてた企画があったけど、そもそも140文字でおさまらないし気持ちも整理できなくて結局企画はスルーした。

もう何ができるかわからなくて、出演予定だった🍁で最後のグッズになる個ブロをお香典代わりに100セット購入した。
500円×100セット=総額50,000円
売上の内、事務所へ入るのが4割くらいだと20,000円
さらにそこから彼個人へ手元に入るのが4割くらいだと8,000円
ちょっとお高い友人知人へのお香典額くらいだろう。購入した個ブロはお世話になってるおたく各位に後日配布します。

🍁で思い出したけど、彼の訃報のときにあたかも今まで応援してきました感だったり彼のことよく知ってます的な面構えで悲しんだり追悼ようなツイートをしたり今まで個ブロすら買わなかったのに記念にとか思って買ってた用紙のおたくがまじで嫌いすぎて消えて欲しかった。さらに滅んでほしいのは、その後ランブロの交換で過去公演の彼のランブロを求めはじめた人。どういう気持ちで探してんのか知らないけど死んだ後のタイミングで集め始めるってなんなの?好きだったらその公演の時から集めとけよと思うし、今は熱烈なおたくじゃない私が言うのも何様だよと思われるだろうけどそうやって彼が良い道具のように扱われるのが許せない。

ちょっとどす黒い感情が思わず溢れちゃったから、彼の好きなところで心を取り戻そう。

歳を重ねてちょっと太っても綺麗な顔が好き
心からのまぶしい笑顔が好き
トーク中に客をぶった斬るところが好き
イケメンなのに喋ると残念なとこが好き
スタイルが良くてスーツが似合うとこが好き
スーツだけじゃなくて舞台映えするとこも好き
あんまり得意じゃないダンスを必死に踊るとこが好き
共演者たちからの無茶ぶりに全力で挑戦してすべるところが好き
笑わせようとおもしろいことしてくれるとこが好き
照れたときのかわいい顔が好き
接触でこっちが喋れなくても話しかけてくれる優しさが好き
誕生日のボード見てこっち投げてくれたあとこっちがちゃんと取れたかまで見守ってくれる優しさが好き
昔分かりやすいファンサはステージ上からあまりしなかったのにカテコで他の人が話してる時に思わず目が合っちゃってうちわ見てくれてうんうんって頷いてくれるところが好き
普段はふざけたりするけどちゃんとした時には真面目な顔で真面目に話してくれるのが好き
妹🦆だよって同じぬいぐるみ首から提げて頭おかしいこと言ってるのにちゃんとノッて返してくれるとこが好き
先輩共演者にはかわいがられ、後輩共演者には慕われてるとこが好き
ファンにプレゼント用意するよりもたくさん舞台見に来て欲しいって口にしてたとこが好き
毎日ブログを更新してくれたマメさが好き
家族思いなとこが好き

はーーー心が洗われた。


実は彼の誕生日は中学時代に特別仲良かった友人と同じ誕生日で、少し縁みたいなのを感じていた。そんな縁は誕生日だけで終わらなかったみたいで、彼の亡くなった日は私の姉の誕生日だった。多分今後自分が認知症になってもきっと彼の生まれた日とこの世界から消えてしまった日を忘れることは無いだろう。

仲の良いフォロワーに招待されて観劇した「バレンタイン・ブルー」という舞台で、歳を重ねるって生きてる証拠っていう言葉がすごく胸に刺さった。今日その言葉の意味をとても痛感している。毎年おめでとうってお祝いの気持ちでいた5月29日という日、今年からは彼を想ってはおめでとうじゃなくてありがとうと感謝をする日になるだろう。生まれてきてくれたこと、34年生きてくれたこと、俳優という道を選んでくれたこと、私と出会ってくれたこと、数えきれない思い出をくれたこと、作品を通して感動を与えてくれたこと、全てにありがとう。

1個1個思い出を書こうとしたらすごく長くなるから、それは気の向いた時に書いて残していくね。

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